浅利慶太 逝く 政治家たちのブレーンとして活躍した過去を残して

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浅利慶太  逝く 政治家たちのブレーンとして活躍した過去を残して

出典 http://www.sankei.com

日本演劇界の重鎮 悪性リンパ腫のために逝去

浅利 慶太(あさり けいた、1933年3月16日 - 2018年7月13日)は、日本の演出家、実業家である。劇団四季創設者の一人で、劇団の運営・管理に当たる四季株式会社の代表取締役社長・会長・芸術総監督をつとめた[1]。

かつて実妹と共に優秀な日本共産党員で、選挙戦や山村工作隊時代を戦ってきたが、実妹が左翼演劇人の劇団で裏切りに遭って自殺、それ以後、浅利慶太自身も左翼陣営を離れた[9]。1970年代から海外ミュージカルの翻訳上演を始め、中曽根康弘や石原慎太郎などの政治家との関係[10]を背景とした莫大な集金、集客力により、劇団四季を大劇団へと成長させる。興行面においては1983年『キャッツ』初演において日本で初めて無期限ロングラン公演を成功させた[11]。中曽根や石原のブレーンとしても知られていたうえ、先述どおり政界との繋がりをおおいに利用して劇団を躍進させたことから、「政商」と批判されたが[12]、後の日本経済新聞の連載など様々な場所で「国益のため」と述べている。[要出典]

このように権力との関わりが密接である[13][14]にも関わらず、一切の国家的顕彰を拒否しており、過去に紫綬褒章や文化功労者の内示があったときも、辞退している[15]。

出典 http://ja.m.wikipedia.org

今月の初旬に亡くなった浅利慶太は政治家との関係も極めて深いとされていた。

調べてみるとあの中曽根元総理のブレーンとして様々な手助けをしている。

特にレーガン大統領が来日したときの話し合いをまとめるための様々な演出を成功させている。

根っからの芸術家である。

中曽根元総理の15歳年下ではあったが、その優れた芸術センスは様々な人に多大な影響を与え、石原慎太郎、黛敏郎といった日本の芸術界を代表するメンバーとの交流はとても有名である。

若者が日本の近代史をきちんと理解しないことを憂いていた

晩年の主な作品は日本の近代史をきちんと描きたかったとされている

若き日の石原慎太郎と浅利慶太

有名な山荘での会談 浅利慶太の発案とされる

出典 http://livedoor.blogimg.jp

Twitterのまとめ

まとめ

出典 http://pbs.twimg.com

奥様は言わずと知れた女優野村玲子。

このご夫婦は2003年に結婚されているが、29歳の年の差婚である。

野村玲子は、 20歳の時から劇団四季に在籍をし、看板女優としてその主なミュージカル作品に主役として出演していた。

調べてみてわかったのは、野村は旭川出身である。

地元の銀行でOLをしていたが、ミュージカル俳優の夢を抱いて劇団四季の門を叩いた。

浅利慶太は3度、結婚していて野村が最後の結婚である。

およそ30歳も歳の離れた若い妻である。

老いらくの恋とは言わないが、老齢の浅利にとって野村は宝物であったに違いない。

ウィキペディアにも載っていたが、浅利慶太は自分の妹を政治的な活動の軋轢の中で失っている。

もともと共産党員であったのだが、妹の自殺によって左翼思想を離れたようだ。

芸術家として、演出家としては超一流と言っていい。

様々な政治家のブレーンも勤めていたが、すべては皆、浅利の類稀な演出家としての能力を評価してのことである。

晩年は様々なニュースから鑑みて、どうやらアルツハイマー病を患っていたようだ。

浅利慶太ほどの才能の塊のような人間が、認知症を発症すれば、その影響は甚大である。

劇団四季とも、トラブルがあった旨のニュースが報告されている。

しかし、演出への情熱はいささかも衰えることなく、常に演劇やミュージカルへの情熱を持ち続けた。

彼を私と仰ぐ俳優たちは多い。

石坂浩二

加賀丈二

市村正親

他にも日本演劇界の重鎮とされる俳優が浅利慶太の弟子とされる。

浅利慶太の代わりを務められる芸術家はいない。

しかしその業績をもとに、様々な芸術の分野で発展が期待されるだろう。

心から哀悼の意を表したい。

キュレーションサイトにて記事作成。

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