日本を愛したデストロイヤー

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日本を愛したデストロイヤー

出典 http://blogimg.goo.ne.jp

昭和の人だから覆面をとれば普通のおじいさん

今月7日に亡くなったデストロイヤー。
本名リチャードジョン ベイヤー。
享年88歳。
日本を愛して止まないアメリカンプロレスラーだった。
プロレスラーとしてのデビューはかなり昔に遡る。
あの力道山の好敵手としても知られる。
実は来日して日本でプロレスをすることに最初は強く反対をしていたのだそう。
理由は他でもない。日本が真珠湾攻撃を仕掛けた必要な国家だと言う先入観。
今ならばあの戦争の本当のカラクリもフーバー文書などでことごとく明らかになっているから、リメンバーパールハーバーなんて事は今は昔のことである。
デストロイヤーはプロモーターに説得されて1試合だけ日本で試合をすればいいと言う約束で来日したようだ。
実は来日してから、リングで戦ったときに観客から制限を受けたことが日本を愛するきっかけになったのだそう。
アメリカならば悪役レスラーはブーイングと相場は決まっている。
しかし日本では彼に対しても惜しみない声援が送られたと聞く。
実はこの日本人の持つおもてなしの気持ちがデストロイヤーの心を溶かしたと言える。

力道山対デストロイヤー

今では伝説となった名試合である。
この試合を最初から見ていくとデストロイヤーは典型的なストロングスタイルのファイターだと言える。
この当時、レスラーは皆厳しい訓練をして試合に臨んでいたのだが、デストロイヤーの場合、そのトレーニングの厳しさは群を抜いていたようだ。
特にアメリカ国内では、誰かを相手にするトレーニングではなく、1人トレーニングルームにこもって黙々と体をいじめ抜く方法でトレーニングしていたと聞く。
ジャイアント馬場が駆け出しの頃、アメリカ遠征の時にデストロイヤーのトレーニングに遭遇してその異常なまでのストイックさに驚愕したと後年述べている。
デストロイヤーの決め技は有名なフィギアフォーレッグロック。
誰もが知っている足4の地固めである。
私のような昭和の世代の人間なら、男子なら誰しもがこの技を繰り出すことができる。
そのくらい有名な技である。
この技は実は弱点があって、技をかける人間が、天井を向いているときは相手に対して効果を発揮するが、そのままの状態でうつぶせになってしまうと技をかけている人間が逆に強烈な痛みをこうことに。
この技で苦しめられた力道山が揉み合ってリング上を転がっているうちに発見した方法である。
この映像の中では、力道山が必殺技岩石落としを披露している。
この岩石落としは、力道山のオリジナルの技ではない。
当時絶対的なチャンピオンとされた鉄人ルー・テーズの必殺技バックドロップがそのもともとの名称だ。
ルー・テーズはトレーニングの最中にヘッドロックをかけられて締め上げられて苦しんだ末、そのまま相手を持ち上げて後に放り投げることを考案した。
これがバックドロップの始まりである。
この技は昔のレスラーも今のレスラーも皆、一様に繰り出すことが多い。
ちなみに力道山はこのときの試合で、覆面に凶器を忍ばせたデストロイヤーに怒り、空手チョップをデストロイヤーの顔面に容赦なく浴びせて、彼の歯のほとんどを叩き折ったと聞く。
この時からデストロイヤーは入れ歯での生活を余儀なくされたのである。

うわさのチャンネルでバラエティーをこなしていた

この頃のデストロイヤーはリングで戦うこともさることながら、よくテレビのバラエティー番組に出ていてお茶の間の人気者になっていた。
和田アキ子と組んだこの番組は高視聴率であの当時かなりの視聴率この頃のデストロイヤーはリングで戦うこともさることながら、よくテレビのバラエティー番組に出ていてお茶の間の人気者になっていた。
和田アキ子と組んだこの番組は高視聴率であの当時かなりの視聴者がいた。
デストロイヤーはもっぱらいじられ役である。
和田アキ子もどちらかと言えばいじられ役である。
この2人の掛け合いはこの当時このタイプのドタバタの番組は少なく、とても面白かったと記憶している。
今でこそプロレスラーからサッカー選手など様々なジャンルのスターが皆バラエティーに進出しているが、この当時のデストロイヤーだけはびっくりするほどの意外性と、リング上とは全くの別人のキャラクターで満人ウケしていたのである。

まとめ

出典 http://i.pinimg.com

彼はもともと体育教師としての資格を持ち合わせていて少年少女にスポーツの手ほどきをしていたようだ。
水泳のインストラクターなどもお手の物だったと聞く。
なんといっても親日家であった彼は日本での様々なボランティア活動にも参加していた。
特に東日本大震災のあの地震の後にチャリティーの試合を行って様々な形で被災者への支援を行ってきた。
彼は日本の叙勲を受けている。旭日双光章。
古い言い回しで言えば勲五等である。
古い時代の日本人なら大体見当はつくだろうか、誰彼おいそれといただける代物ではないのだ。
皇室の評価がいかに高かったか。
それもこれも彼デストロイヤーの人柄の賜物と言える。
アメリカ人らしからぬ気配りで誰に対しても穏やかで優しい受け答えで知られていた。
レスラーとしてははっきり言って超一流だったと思う。
ずば抜けた強さと言うわけではないが、揉み合った試合の中で発揮される頭の良さ、ひらめきなどは彼独特のもので、そして何よりもプロレスがエンターテイメントであることを非常によく理解していた。
彼はレスラーとしてもそうだがテレビタレントとしても、エンターテイナーとして一流だったと言える。
88歳で家族に看取られながら息を引き取ったと聞いている。
特に力道山を愛しジャイアント馬場に対して尊敬していると述べていた言葉がとてもよく記憶に残っている。
典型的なアメリカ人でいながら、彼の持つマインドは日本人の真心と酷似している。
それは私たち日本人も感じているし、ほかならぬデストロイヤー自身が心の底から感じていたに違いない。
昭和の1ページを飾った、懐かしい思い出である。
彼の魂が、天国で先に亡くなった現役時代のライバルであり友達だった仲間たちと穏やかに安らかに過ごしてほしいと心から祈るばかりである。

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